イギリス対ドイツ(2014年12月17日)|「クリスマス休戦」とサッカー

ふとしたことで連載のお話をもらったが、テーマは「歴史的な試合」だった。うーん。悩む。歴史的な試合っていえば、まず思いつくのがドーハやジョホールバル、2002のベルギー戦も歴史的な試合だといえる興奮があった。

しかし、今回から何度かにわけて紹介するのは、いまだ陽の目を見ない試合の数々だ。この連載への私なりの挑戦といったところだろうか。ふつうなら「歴史的一戦!!」といった見出しが新聞や週刊誌に踊るようなものについて書くべきなんだろうが、この話をもらっとき、たいたずら心か、少し違った見方でサッカーを探りたくなった。だから勝手に歴史に引っ張ってみたい。

読者の皆さんには、この連載でサッカーを通じて歴史の意味を考える機会を持っていただければ幸いだ。

イギリスとドイツ、100年ぶり2度目の試合

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皆さんは2014年12月17日おこなわれた、イギリスとドイツの試合をご存知だろうか。サッカーを愛する皆さんの中には、すでにここで疑問を持つ人もいるはずだ。「イギリス?」と。サッカーの「イギリス代表」なんて聞いたことがない(無論、オリンピック代表やユニバーシアードには「イギリス代表」のサッカーチームが存在しているけどね)。

今回は、国際Aマッチではなく第1次世界大戦中の「クリスマス休戦」を記念した、イギリスとドイツのサッカーの試合について紹介していこう。

第1次世界大戦での「クリスマス休戦」

2014年は、第1次世界大戦が開戦してちょうど100年目にあたる。この戦争では、ヨーロッパ諸国のみならず、列強の支配下にあった国や地域まで戦火が拡大。ハンガリーの歴史家ゲルゲイ・アンドラーシュ(Gergely Andras)が「アルプスの山の上から、深い海溝の底まで戦場になった<※1>」と書いたように、世界中が悲惨な戦闘の舞台となった。

その最初の年、1914年、西部戦線<※2>では奇妙な光景が見られたことがわかっている。

第1次マルヌの戦い以降、西部戦線はこう着状態にあり、塹壕に立てこもるドイツ軍も、フランス・イギリスを中心とした連合軍もお互いに手が出せない状態だった。その塹壕から、あるイギリス軍の将校が母国の母親に宛てて手紙を出す。彼の名前はAlfred Dougan Chater。そこには、クリスマスに起きた、塹壕でのある出来事について書かれていた。

親愛なる母さんへ

僕はこの手紙を焚き火とたくさんの藁に囲まれて、自分の「避難所」、塹壕の中で書いています。凍てつくほど寒く、いかにもクリスマスといった天気ですが、居心地は悪くない。僕は今日、誰も見たことがないであろう素晴らしいものを見ました。朝の10時頃、塹壕の淵から外をのぞいていると、1人のドイツ人が手を振りながら塹壕を出て、すぐに別の2人も塹壕を出て、こちらにやってきました。僕らが撃とうとすると、彼らはライフルを持っていない。そこで、僕たちの塹壕からも1人が彼らに会いに行きました。そこからものの2分で、お互いの塹壕の間は、両軍の兵士や将校で溢れかえり、皆、握手してお互いにクリスマスの幸せを願ったのです。半時間ほどそうして過ごし、僕たちはお互いの塹壕に戻るよう指令が下りました。

結局、一日中お互いに攻撃することなく、塹壕を出て藁や薪を運んだのです。自由に。

また、お互いの塹壕の間に横たわる死者たちーードイツ人と僕らの仲間ーーのために、共同の埋葬式が開かれました。僕らの将校の何人かはイギリスとドイツからなる兵士たちを率いていました。この信じられないような休戦は、突然だったのです。お互いの間に事前の取り決めなんてなかったし、もちろん、これによって敵対行為の停止はないと決まりました。僕も出て行って、何人かの将校や兵士たちと握手を交わしました。話を聞くと、彼らのほとんどが、家に帰ることを望んでいました。僕たちがそうであるように。僕らは一日中、皆でパイプを演奏しました。敵陣のただ中ですが、皆が自由に歩き回ったのです。

たぶんこの停戦は、誰かがライフルを放つほど愚かしいことをしなければ続きます。今日の午後、仲間の一人が間違ってライフルを空に向けて放ち、台無しにしかけたのですが、皆が気づかなかったので問題になりませんでした。僕はこの機会に、自分の「避難所」をより快適にしました。僕はここをラグビーのスコットランド代表選手ーーそして素晴らしい同僚ーーのD.M.Bainと一緒に使っています。

朝から僕らは塹壕に屋根をつけて、暖炉をみつくろい、床には板と藁を敷き詰めました。明日には塹壕を出なければならないのですが、ここの夜は本当に冷えるのでしょうがない。

27日、僕はビレット(ーー工業用の鉄の塊、訳者注)を背にしてーーつまり昨日と同じ任務が続いていますーーこの手紙を書いています。そしてドイツ軍との塹壕の間では、ドイツ人たちと別のパーレイ(ーー交渉ごと、訳者注)がありました。タバコやサインを交換したり、一部は一緒に写真を撮ったりしたのです。

この休戦がどれくらい続くか僕にはわかりませんーー僕は昨日で終わるものと思っていました。でも、少し遠方の砲撃を除いて、今日は前線で銃声が聞こえません。

とにかく、ドイツ人たちが写真の出来を見たいというので、元旦には別の休戦もあります!昨日の朝は素晴らしかったので、前線の塹壕に沿ってかなり長い距離を散歩しました。それが意味するところを理解するのは困難でしょうが、いつもは地上に頭を出しただけでも命はないのです。

”A Letter written by Captain Alfred Dougan Chater, 2nd Gordon Highlanders”より筆者訳(原本はこちらで閲覧可能)

このほか、極めて限定的であったが、西部戦線のいくつかの地域で同じような、即興的な「クリスマス休戦」が行われた。

<※1>Gergely Andras “Magyarorszag Tortenete A 19. szazadban” 2003.

<※2>西部戦線はイギリス海峡からスイスまで構築された塹壕郡。大部分はフランスとドイツの間にあり、お互いの軍隊が塹壕を掘りその中からお互いの塹壕に潜む兵士を狙撃する。西部戦線における塹壕戦は、第1次世界大戦を通じて終わることがなかった。

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クリスマス休戦とサッカー

このクリスマス休戦では、タバコや貴重品の交換以外にも、両軍が聖歌を歌ったりしたことがわかっている。先に紹介した手紙の主、Alfred Dougan Chater(アルフレッド・ドゥギャン・チャーター)はロイヤル・スコットランド連隊に所属しており、スコットランドの伝統楽器バグパイプの演奏を披露した。

そして場所によってはサッカーの試合も行われたそうだ。

アメリカのヒストリーチャンネルの調査によれば、次のような様子だったという

ーー兵士たちが無人の土地で有刺鉄線を移動したため、小さなサッカーの試合で塹壕の間にある死の地帯が生き返ったことさえあった。 「私たちは帽子でゴールの目印を作りました」と、ドイツのヨハネス・ニーマン中尉は回想する。 「凍った泥の中で

の試合のために、即興のサッカーチームがつくられ、フリッツ(ーードイツ軍の愛称、訳者注)はトミー(イギリス軍の愛称、訳者注)を3-2で破った」。兵士たちは、キックに耐えうる本革のボールを持たず、水浸しのブーツでブリキ缶、小さな砂袋をボールに見立てて試合を行いました。

Histry ”World War I’s Christmas Truce”(原文はこちら

残念ながら非常に限られた時間の中で、クリスマス休戦中にサッカーの試合が行われたという確実な史料を見つけることはできなかった(ご存知の方は、Twitterなどでお教えください)。

しかし、この話は第1次世界大戦初期の牧歌的な様子と、その後の悲惨さを際立たせるものとして語り継がれている。サッカーと戦争にまつわる、ある種の神話として。

2014年12月17日の試合

さて、この伝説に彩られたサッカーの試合が行われたというクリスマス休戦からちょうど100年目にあたる2014年。イギリスのAldershot(アルダーショット)で、イギリス軍とドイツ軍の兵士たちがサッカーの試合を行った。第1次世界大戦に関する記念行事の一環としてだ。

試合の様子は……。動画でご確認いただこう。両者プロ顔負けのプレーがあり見ごたえがありそうだ。

戦争そして……

クリスマス休戦にサッカーが行われたかどうかは、(今のところ私の知る範囲では)定かではない。ただ、人々の心に何かしらの感情を引き起こすものではあるだろう。事実、この話は欧米だけでなく、日本でも「知っている人は知っている」ものでもある。

ただ、神話と歴史、こと歴史学には明確な違いがある。最後に、今回の話に登場した人物について紹介しよう。

今回の手紙の主、Alfred Dougan Chaterは、1890年にイギリスの中部エセックス州、Strawberry Hillで生まれ、事務員として働いた後、軍務に就く。クリスマス休戦の喜びを伝える手紙を送った3ヶ月後の1915年3月、顔面に銃弾を受け軍事病院に入院。その後回復し、3人の子供をもうけ、1974年にオックスフォードシャーで亡くなるまで生を全うした。

もう一人、 Chaterの同僚で塹壕の同じ場所を共有してた、D.M.Bain。本名、David McLaren Bain。彼は、スコットランド代表のラグビー選手で、1911年から1914年まで代表に名を連ね、出征前に行われたウェールズとの試合ではスコットランド代表のキャプテンも務めている。彼は1915年6月3日、フランスで命を落とした。

歴史は間違いなく、そこで生きた人たちの歩みなのだ。

サッカーと歴史、次回は

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歴史的な試合は数多い、そして、歴史学的に興味深い試合も数多く存在する。

今後もこういった興味深い試合を歴史学的に少し掘り下げて紹介していこう。

そうだね、次は「オーストリア代表対ハンガリー代表」の初めての国際親善試合なんてどうだろうか?もともと「オーストリア=ハンガリー二重君主国」として同じ国を形成していた歴史のある両国、しかしお互いの最初の試合はそんな同じ国の中の相手だった。どんな歴史的背景があるのか、興味を持ってもらえれば幸い。

ライター:山﨑
主にビジネス雑誌でフリーランスのライター、編集者として活動。著名人の取材やルポルタージュを得意とし、これまでのインタビュー経験は200人を超える。フランスリーグのアクロバティックでフィジカル全開のスピードサッカーが好き。